模様編みといえばアラン模様!と連想する人も多いのではないでしょうか?
そんなアラン模様、そもそも何なのか、どういう歴史があるのか?知っているとより編み物が楽しくなると思います。
このページでは、わたしが調べたアラン模様の歴史について、紹介します。
1000年以上前から編まれていた伝説のセーター?
アラン模様を世界的に有名な産業に押し上げた理由のひとつが、ロマンチックな伝説の存在です。
それは、こんな内容。
- アラン模様の編み方は家庭ごとに違い、家紋のような役割があった
- 母から娘へと代々受け継がれていた
- 漁師の船が事故に遭って不幸にも遺体で発見されても、アラン模様でどこの家の者か判別できた
- 1000年以上前から編まれていた
- 乳白色の毛糸で編まれているのが特徴
1000年ものあいだ、母から娘へと脈々と受け継がれてきた伝説のアラン模様。
家族のために1針1針編むアラン模様。
しかし現在は、この説はほぼ否定されています。
アラン模様のニットが世界的に有名になったのは1900年代後半なのですが、その立役者の1人である手芸店創業者のハインツ・エドガー・キーヴァ氏が立てた仮説が広まって定着してしまったようです。
アランニットの販売・輸出をおこなった『ゴルウェイ・ベイ・プロダクツ』という会社の創業者であるパドレイク・オショコン氏が、商売のためにこのエピソードを創作した、という話も目にします。
真実は確かめようがありませんが、アランニットが世界に広まる際に、複数のエピソードに尾ひれがついたりしながら、人々に「ウケる」エピソードとして完成されていったのではないでしょうか。
本当のアラン模様の発祥は1900年初頭?
アラン模様とはアイルランドにあるアラン諸島からその名がついていて、本当の発祥の時期は1900年初頭ではないか、という説が有力です。
アラン模様に関するエピソードの中でもっとも古い情報としては、「アラン諸島のイニシモア島出身の女性マーガレット・ディレインが一時期アメリカに住んでおり、そこで移民の女性から模様編みを教わり、イニシュモアに帰ってからその模様編みをすると、徐々に島の女性たちにも広まっていった」といったもの。
そもそも模様編みというのはアラン諸島特有のものでもなく、さまざまな地域で、さまざまな編み方が発展してきました。アランセーターは、フィッシャーマンズセーターの一種で、「ガンジーセーター」とか「ジャージーセーター」といったものの仲間です。
その中でも「アラン模様」「アランセーター」というものが世界的に有名になったのは、アラン諸島で広まり、アラン諸島に販売店が次々とでき、いくつかの幸運があったからだと思います。
1930年代には、アランセーターの販売店として『カントリーショップ』『クレオ』『オモーリャ』といった店ができました。
1950年代には『ゴルウェイ・ベイ・プロダクツ』、1970年代には『イニシュマン・ニッティング』が創業。
1960年代にはアメリカで流行りだし、日本には1960年代後半に入ってきたようです。
その後、日本でもアラン模様のセーターは流行し、アランセーターの編み方の本もたくさん出版されました。
アラン諸島における実際のアランセーターの位置づけとは
アラン諸島はアイルランドの小さな島々。イニシュモア島、イニシュマン島、イニシア島の3つの島からなります。
3つの島の面積の合計は46.6平方キロメートルだそう。わたしが住む京都市の面積が827.8平方キロメートルなので、アラン諸島がかなり小さい島々だということがわかります。
アラン模様を編みこんだセーターは1900年代に急速にアラン諸島の女性たちのあいだに広がり、当時は男の子の「堅信礼」での正装として使われていたことが分かっています。
堅信礼とは、カトリックの成人式のようなもので、12歳になる子どもが参加します。
当時、アランの女性のほとんどはアランセーターを編めたそうですが、それは、生きていくためでした。
1900年代初頭に島に広がっていったアランセーターは、同時多発的に何人かの商売人の目にとまり、セーターの販売会社を作ったり、コンテストを開催したりして、アランセーターが盛り上がっていきました。
実はアラン諸島は資源に乏しい土地で、漁業以外に産業がないといってもいいぐらいの場所でしたが、アランセーターが世界に認められたことにより、アランニットの輸出が一大産業となり、また、観光業も栄えるようになりました。
漁師である夫のためや、堅信礼を迎える息子のためにセーターを編んだこともあったでしょうが、痩せた土地で生きていくために、仕事としてアランセーターを編むようになった、というのが実際のところのようです。
手編みの製品には生産者のサインを付けてブランド価値を高める努力や、一方で機械編みを導入することで大量生産して手ごろな値段のものも流通させるなど、アランニットを扱うお店や会社も、生きるため、必死な取り組みがあったのだと思います。
日本でのアラン模様の歩み
日本にアラン模様のセーターが入ってきたのは1960年代後半だと言われています。
当時、日本はアメリカの影響を強く受けていたため、アメリカで流行したアランニットがそのまま日本でも流行しました。
わたし(1984年生まれ)が子どものころは、アラン模様のニットを親が着ていたような記憶もうっすらあります。わたしも親が編んだアランセーターを着ていたかもしれません。
編み物の本では、1980年代ごろには「彼のために編むアランセーター」みたいな本がたくさん出版されています。
昔の本では、最近は見かけない珍しい模様がいくつも掲載されています。
それらの模様が、現代では衰退してしまったアラン模様なのか、それとも当時の人が勝手に考えた模様編みでそもそもアランではないのか、真実はわかりません。
編み物の本でもアラン模様の名称に言及しているものは少ないためよくわからないのです。
アラン模様でも、ケーブル模様は今でもよく見かけますが、あまり見かけない柄もたくさんあります。
もしかすると古いアラン模様がまた流行するときも来るかもしれません。
わたしはニッターの1人として、アラン模様という文化が今後も受け継がれていくための一助になれたらいいなと思います。
アランニットの年表
ここまではアラン模様の歴史について紹介してきましたが、このサイトを作るにあたってけっこういろいろ調べたので、最後にアランニットの年表を掲載しておきます。
1906年 | イニシュモアの女性マーガレット・ディレインがアメリカ・ボストンに渡り、模様編みに出会う |
1908年 | マーガレット・ディレインがイニシュモアに戻り、模様編みを広める |
1931年 | ミュリエル・ゲインがアイルランドの首都ダブリンに『カントリーショップ』を開き、アイルランドの手工芸品を販売し始める |
1935年 | 『カントリーショップ』が、イニシュモアのニッター、エリザベス・ライバーズから買い付けたアランセーターを販売し始める |
1936年 | ハインツ・エドガー・キーヴァが、ダブリンの『カントリーワーカーズ』という手工芸品店でアランセーターに出会う キャサリン・ライアンがダブリンに『クレオ』という手工芸品店を開く |
1937年 | 国立カントリーライフ博物館が『アイルランド・ルーラル・カルチャー展』のため、アランセーターを集める |
1938年 | アイルランドのゴールウェイにてオモーリャ創業、のちにアランセーターを販売するようになる |
1939年? | キーヴァが「アート・ニードルワーク・インダストリーズ』という手芸材料の会社をつくる。また、9世紀初頭の本の中で乳白色のセーターを発見し、アラン模様には1000年以上の歴史があるという仮説を立てる |
1943年 | ファッションジャーナリストのメアリー・トーマスが、キーヴァから聞いたアランセーターを著書で紹介する |
1945年頃 | のちに『ゴルウェイ・ベイ・プロダクツ』で活躍するニッターのモーリン・オドゥンネルが兄の堅信礼のためにアランセーターを編む |
1946年 | ゲインがアランセーターの競技会を開催。マーガレット・ディレインが優勝する。 |
1949年 | アイルランド共和国が独立 |
1955年 | グラディス・トンプソン著『ガンジー、ジャージーおよびアランのパターン集』の原本が刊行(1969年、1971年に改訂版が出ている) |
1956年 | クリスチャン・ディオールが『クレオ』でアランセーターに出会い、商品化 |
1957年 | 元弁護士のパドレイク・オショコンがイニシア島でアランセーターのコンテストを開催する。イニシュマンのニッター、モーリン・オドゥンネルが、オショコン氏が顧客から引き継いだ会社『ゴルウェイ・ベイ・プロダクツ』で働き始める |
1961年 | アイルランド出身のフォークグループ『クランシー・ブラザーズ』がアメリカの国民的人気番組『エド・サリバン・ショー』にアランセーターを着て出演。 |
1962年 | オショコン著『アラン・伝説の人々』出版 |
1967年 | キーヴァの著書『神聖なるニットの歴史』出版 日本では『メンズ・クラブ』『編物ヴォーグ・スタイル1000集』でアラン模様の伝説が紹介される |
1970年代 | 日本で石津健介『ヴァンヂャケット(VANJACKET INC.)によってアランセーター(フィッシャーマンズセーター)が発売される |
1976年 | 『イニシュマン・ニッティング』というアランセーターの会社を創業するターラック・デ・ブラカンががイニシュマン島に移住 |
1983年 | オショコン著『失われた時のたびだち』出版 |
1984年 | ニットデザイナーのロアナ・ダーリントンがアラン諸島のイニシュモア島で調査、マーガレット・ディレインの娘メアリー・ディレインに話を聞く |
1987年 | 編み物愛好家リチャード・ラット著『手編みの歴史(A History of Hand Knitting)』出版。キーヴァの説やメアリー・ディレインについても取り上げる |